焼酎の歴史
【焼酎の歴史】
日本国内では、今の『酒税法』でいう【焼酎乙類】が生産されており、焼酎は江戸時代まで乙類しかなかったそうです。
その歴史は古く、1461年に琉球(今の沖縄県)に漂着した李朝の人の記録が「李朝実録」に残っていて、「那覇江の海岸近くの城に《清》という澄んだ蒸留酒があった」としていることから、それ以前には琉球で造られていたことになります。
蒸留の技術は14世紀ごろにシャム国(現在のタイ)から琉球に伝来し、泡盛が造られていたと言われているので、そのことからも1300年代に沖縄で初めて造られたという説が裏づけられます。
しかし、泡盛の麹は、黒麹でありシャム国の「餅麹」とは異なっているので、伝来の由来や、なぜ黒麹が普及したのかについては、謎は多いようです。
その昔、九州でも黒麹が主流だったので、黒麹が琉球(沖縄)から九州に伝わったことは、ほぼ間違いないのではないでしょうか。
その後、日本では九州やその他の地域でいろいろな焼酎が造られることになり、徐々にその勢力を強めていくことになります。
原料(芋、麦、黒糖・・などなど)や麹も様々なものを用いて、「地域独特のものを造りあげていった」といって良いでしょう!
明治になって、焼酎は新時代に入ります。
イギリスから連続式蒸留機が輸入されたことによって、【甲類】が生産できるようになったからです。
乙類の焼酎より安く、また簡単に大量生産できることから、甲類焼酎は「新式焼酎」として日本国民に受け入れられ庶民の人気となりました。
この頃、前からあった乙類の焼酎は「旧式焼酎」と呼ばれて人気がなくなってしまったようです。
その後、酒税法が定められ、法律によって正式に焼酎甲類と焼酎乙類が分類されました。
2003年頃から始まった「本格焼酎ブーム」は焼酎乙類が対象となっています。
近年になって「旧式焼酎」がブームになった!というのは・・何とも皮肉なことですね。
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